高野山金剛峯寺(コウヤサンコンゴウブジ)
高野山/その他
そもそも弘法大師が高野山に開創した理由。都遥かに都を離れ、しかも約1000mの高峰であるこの高野山を発見されたことには古くから伝えられる物語があります。それは、弘法大師が2カ年の入唐留学を終え、唐の明州の浜より帰国の途につかれようとしていた時、伽藍建立の地を示し給えと念じ、持っていた三鈷(密教における法具で三鈷杵(さんこしょう)ともいう)を投げられた。その三鈷は空中を飛行して現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていた。(壇上伽藍にある三鈷の松、松は落ち葉になっても二本の葉の元が離れないことから、夫婦円満等いろいろな意味がある)弘法大師はこの三鈷を求め、今の大和の宇智郡に入られた時そこで異様な姿をした一人の猟師にあった。手に弓と矢を持ち黒と白の二匹の犬を連れていた。弘法大師はその犬に導かれ、紀の川を渡り嶮しい山中に入ると、そこでまた一人の女性に出会い「わたしはこの山の主です。あなたに協力致しましょう」と語られ、さらに山中不深くに進んでいくと、そこに忽然と幽邃な大地があった。(狩人は、丹生都比売大神(にうつひめおおかみ)の御子である高野御子大神(狩場明神)の化身であった。丹生都比売大神の神領だった高野山を譲り受けた空海は、山上に大神を祀る社を立て守護神としてあがめました。丹生都比売大神が鎮座する丹生都比売神社をはじめ、空海の母ゆかりの慈尊院には実在した高野参詣道町石道の案内犬「ゴン」の像が立ち、丹生官省符神社では白黒2匹の大絵馬が、丹生狩場神社では白黒2匹の狛犬が社を守っています。そして、そこの1本の松の木に明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを見つけ子の地こそ真言密教にふさわしい地であると判断しこの山を開くことを決意されたということです。
【高野山金剛峯寺】西国三十三所巡りを満願したので、憧れの高野山へ。日帰りだったので、ゆっくり見れなかったのが残念です。高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺だそうです。高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂。山内に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)。現在では117ヶ寺が存在してるそうです。拝観途中に見つけた、みろく石さんでくるみ餅とやきもちをいただきました。老舗の和菓子屋さんでいただく甘いものは、寺社めぐりの醍醐味です。
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